第14回 スペイン語学徒のスペイン語国旅行記 ボリビア(2)―ウユニ編―
堀田英夫
ウユニ市は、鉱物を運搬する鉄道の中継点として1889年に建設された町である1 。駅を中心に鉄道の北西側に広がる町は、機関車など鉄道の整備保全や必要物資の供給に携わる人たちが居住することで発展してきた。通りが碁盤の目状に走っていて、この町が計画的に開発されたことをうかがわせる。ボリビアの作家であり政治家・外交官のアドルフォ・コスタス・デュ・レルス(Adolfo Costas Du Rels. 1891-1980)は、1921年刊行の短編小説『ミスキ・シミ―甘い口の女』(La Miskki Simi: La de la Boca Dulce)の冒頭で、”Sitio sin alma, gente sin ángel, tierra sin agua, sol sin calor, Uyuni fue siempre el pueblo más desventurado de Bolivia.” 2(魂の無い所、優しさの無い人、水のない地、熱の無い陽(ひ)、ウユニはいつもボリビアで最も恵まれない町だった―拙訳)とウユニを描写している。実際郊外は草木が少ない荒涼たる土地で、街中も土埃が舞っていた。現地ガイドによると、アルゼンチンなどに出稼ぎに行く人が多く、現在は観光業で生活している人も多いとのことである。地図で鉄道路線を見ると、北へはオルーロ(Oruro)、かつてこの鉄路の途中にはポトシ(Potosí)3への分岐線があったようである、西へは国境を越えてチリの太平洋岸の港町アントファガスタ(Antofagasta)へ、南東へはアルゼンチンとの国境の町、ビリャソン(Villazón)から、アルゼンチン国内へと続いている。
日曜日の路上青空市
鉄道とともに発展してきたウユニには、観光スポットとして「列車の墓場」(Cementerio de trenes)がある。もっとも、正確には「蒸気機関車の墓場」(Cementerio de locomotoras de vapor)であると現地ガイドが説明してくれた。かつては蒸気機関車が鉄道輸送の主流であったが、その動力源である石炭は輸入品でありコストがかるため、自国で生産できる石油によるディーゼルを動力とする機関車がその役割を担うようになり、蒸気機関車が放置されていったらしい。
「列車の墓場」近くの線路
この線路は現在も列車が運行されているので錆びていない。
スペイン語を長年勉強していても、これまでボリビアという国のことはあまり知ることはなかった。今でこそ「ウユニ塩湖」(el Salar de Uyuni ウユニ塩原)が有名となり、日本でもいくつかの旅行会社からここに行くツアーが売り出されていて、訪れる人も増えているようである。宿泊したホテル・パラシオ・デ・サル(Palacio de Sal.「塩の宮殿」)は、1998年に塩湖の中に世界で初めて塩で建てられたホテルで、2004年に塩湖沿岸の陸地上に移転したとパンフレットにある。ウユニへ観光で訪れる人々が増えたのは1998年頃からだと思われる。ラ・パスから到着した空港は、空軍基地であったものを2011年7月に商業空港として開港したとのことで、それまではバスか車または鉄道でしか訪れることができなかった。ラ・パスから空路なら約45分で着くが、陸路では10時間以上かかるようである。
観光の定番の一つとして訪れた塩工場では、小屋の外に野積された塩を、お世辞にも清潔とは言えない小屋の中で、男性一人が乾燥、ヨード混ぜ、袋詰めの作業をしていた。ヨード(ヨウ素、yodo/iodo)はチリから輸入しているとのことである。ヨードは人間に必須の元素であり、過不足により甲状腺異常となる。ウユニ塩湖の塩にはヨードが含まれておらず、ボリビアのような内陸に暮らす人たちはヨード不足であるため、ヨードを混ぜているのである。塩の包装紙にはSAL YODADA(ヨウ素添加塩)と表記されている。
広大な塩湖の中での、360度を見渡しての塩上の水面に映る鏡像、空と空を反射した水面の色が刻一刻と変わる日没鑑賞、天の川と南十字星を含む星空鑑賞は、絶景であった。二日目は塩湖のほぼ真ん中にあり、巨大なサボテンが立ち並ぶインカワシ島(Isla Incahuasi)に登った。他の小さな島々のサボテンは沿岸住民が切り出して建材などとして使用したため大きく育ったものがなくなってしまったそうである。インカワシ島は沿岸からかなり離れているため、サボテンは伐採されることなく残り、現在は保護されているとのことであった。現地ガイドによると、サボテンが伸びる長さは1年に約1cmなので高さ10m以上あるサボテンは1000年以上の時を経ているそうである。塩湖の空間的広がりだけでなく、悠久の時も感じることができる場所である。島の頂上は塩湖から160mぐらいだが、塩湖が既に海抜約3660mに位置しているため、急斜面を登るのは、かなり大変であった。その後、塩湖を北上し、トゥヌパ火山(Volcán Tunupa)のふもとのチャンタニ村(Chantani)の民営博物館を訪れた。
インカワシ島と塩湖
観察することのできたスペイン語について少し書く。ウユニのホテルで提供されていたティーバッグはボリビア製で、“mate de manzanilla”(カモミール茶)、 “mate de coca”(コカ茶)、 “mate de anís”(アニス茶)、 “trimate”(3種茶混合)、 “té clásico”(「古典的茶」、紅茶)、 “té con canela”(シナモン入り紅茶)とあった。mateという語が茶葉一般の意味で使われていて、紅茶はtéとして区別されている。mateは、アルゼンチンなどでは、マテ茶の意味であり、茶葉一般の意味ではない。
またボリビアへの輸入品ではあるが、スラッシュでもって複数の語形を併記することでスペイン語語彙の地域差を考慮した表示がしてあるのを観察することができた。以下、例をあげ、主な使用地域を[ ]の中に示す。キャンディ包装紙(チリ製)に “GOLOSINA SABOR A CHOCOLATE RELLENA CON CREMA SABOR DAMASCO / CHABACANO”(アンズ味クリーム入りのチョコレート味菓子)に、「アンズ」がdamasco/chabacanoとある[南米/メキシコ]。“GOLOSINA SABOR A CHOCOLATE RELLENA CON MANJAR/DULCE DE LECHE”(ドゥルセ・デ・レーチェ入りチョコレート味菓子)に、「凝乳と砂糖を煮詰めた菓子」であるドゥルセ・デ・レーチェが、manjar/dulce de lecheとある[アンデス地域/その他]。成分表示でSOYA/SOJA(大豆)[中南米/スペイン]、MANI/CACAHUATE(ピーナッツ)[南米/メキシコ]との表記もある。他のキャンディ包装紙(生産地不明)では、naranja(オレンジ)、manzana(リンゴ)、guinda(クロサクランボ)、leche(ミルク)は、それぞれ包装紙に一つの語が2度表記してあるのに対し、イチゴは、frutilla[アルゼンチン]とfresa[それ以外の地域]の二つが書いてあった。
父親と自身もケチュア語を話す現地ガイドは、アンデス地域スペイン語の特徴の一つと言われる語頭rに、ふるえ音でなく破擦音が観察されることが時々あった。また運転手は“¡De vos!”(君が良いと言えば出発するよ)のように前置詞格vosを使っていた。ごく断片的な観察でありvoseo(2人称単数にvosと2人称複数起源動詞形を使うこと)を使用しているのかどうかまでは観察できなかった。
<脚注>
写真はいずれも2017年4月、ボリビアにて撮影[© 2017 Setsuko H.]
[堀田英夫]
東京外国語大学大学院外国語学研究科修士課程修了
現在:愛知県立大学名誉教授
著書:『スペイン語圏の形成と多様性』(朝日出版、2011年)、編・共著:『法生活空間におけるスペイン語の用法研究』(ひつじ書房、2016年)、論文:「大航海時代の外国語学習―メキシコのフランシスコ会宣教師たちの場合」(愛知県立大学外国語学部紀要言語・文学編(47)2015年)など。より詳しくは<こちらへ>