第15回 スペイン語学徒のスペイン語国旅行記 ボリビア(3) ―ティワナク編―
堀田英夫
ボリビアでユネスコの世界文化遺産に登録されている6ヵ所(2017年現在)のうち、今回は「ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心」(Tiwanaku: centro espiritual y político de la cultura Tiwanaku)を訪れることができた。
ウユニ発午前8時25分の飛行機でラ・パスのエル・アルト空港に到着、9時50分頃に空港から出て、その足でまっすぐ西方、ティワナクへ向かった。車は途中、エル・アルトの市街地をかなり走り、しばらくしてから郊外の道に入った。まっすぐ行けばペルー国境という道路では、料金所の他に警察の検問があった。国境警備の一貫とのことである。荷物検査をされている車も見受けられたが、我々の車はドライバーが書類を見せるだけで検問を通過できた。
ティワナク遺跡は、インカ文明より遥か昔に繁栄したティワナク文明の中心地であったところである。ユネスコ世界遺産のウェブサイトに記載してある紹介文1によると、ティワナクは西暦500年から900年に絶頂期を誇った強大な帝国の首都であった。その影響は広大な南部アンデス地方とその周辺地に拡がっていて、遺跡群からは、アメリカ大陸に発展した他の先スペイン期文化と明白に異なった文明であり、その文化的政治的重要性がわかるとある。
あたり一帯は赤茶けた土地で、遺跡のある敷地が金網で仕切られている。敷地内には、主な建物としてアカパナ・ピラミッド(Pirámide de Akapana)、半地下式祭壇(Templete Semi-subterráneo)、カラササヤ神殿(Templo de Kalasasaya)が建っている。近辺に灌漑用水を引くため、ピラミッドの頂上にため池と、そこからの水路が作られていたこと、カラササヤ神殿は、暦を知るため、日の出の太陽の位置を観察できる構造となっていたことなどが興味深かった。司祭達の住居跡ではないかと言われる部屋(の基礎部分)が並んだところもあった。これらの中や間のあちこちに、加工技術が見事な、表面が平らで滑らかな直方体の石材、石材をつなぐ青銅製カスガイ跡、石に穴を開けて作られている拡声器、アンデス十字(chacana)、太陽の門(Puerta del Sol)やいくつかの一枚岩の石像・石碑(monolito)などを見た。遺跡内では、遺跡保護のための監視員があちこちにいて、地面に転がっているなんでもないような石の上に腰掛けるだけでも注意されるとのことで、標高約3,880mの薄い空気の中、休みたくても休むことができず、ずっと歩いて見学せざるをえなかった。
ティワナク遺跡内を歩いている現地の女性
アカパナ・ピラミッド(Pirámide de Akapana)の頂上からティワナク村を望む
やや右の方に、ティワナク遺跡の石材を使って作られたとされる教会が見える。
ティワナク遺跡
アカパナ・ピラミッド(Pirámide de Akapana)など、遺跡の建造物はあまり復元されていない。
ティワナクは、後にインカ文明の担い手たちがこの地に来た時、またその後スペインの征服者たちが来た時にはすでに廃墟となっていて、スペイン人達が近くの村に建物や教会を建設する際に、ここの石材を使うために破壊し、あるいは黄金を探してさらに破壊したと言われている。そのため、ティワナク時代の建物の正確な形はよくわからず、1960年代に行われた復元も、どの程度かつての様子を示しているのかわからないとのことである。例えば、半地下式祭壇の壁面のたくさんの顔面が何を意味するのかなど、当時の社会や文化について、まだまだわからないことがあるとのことであった。
併設されている博物館(Museo Regional de Tiwanaku)では、出土された土器や、スカ・コリュ(suka kollu―アイマラ語)またはワル・ワル(waru waru―ケチュア語)という、畝を盛り上げ周囲に水を張った農耕方法などの展示、それに別の建物(Museo Lítico)の中で「ベネット」と名付けられた高さ7.3m、重さ20トンという最大の石像も見ることができた。博物館前には、国旗とラ・パス州旗、それに中央のポールには、7色の旗が掲げられていた。この旗は、ラ・パス市の国会議事堂前にも掲げられていたもので、憲法(6条)に規定されている国の象徴の一つで、先住民の旗wiphara(アイマラ語で「旗」)である。
ティワナクの博物館前に掲げられた旗
手前から国旗(横に三色の国旗が、ポールにからまっているため、縦三色旗に見えている)、wiphala(先住民旗)、ラ・パス州旗。
ティワナク遺跡で聞いた話で一番驚いたのは、ここでエボ・モラレス(Juan Evo Morales Ayma)大統領が就任式を行ったということである。モラレス大統領は現在3期目で、2006年、2010年、2015年と3度、議会での宣誓式の前に、ここで儀式を行っている。インターネット上の動画2、ボリビア外務省サイト3や新聞報道4を見ると、儀式は博物館内の石像「ベネット」の前での「禊」から始まり、先祖伝来(ancestral)とされる象徴の意味を込め、ボリビア各地の貴金属や織物で作られた衣装を身につけた大統領が、遺跡内を歩いて進み、カラササヤ神殿で、先住民の長老たちから、権力の象徴である2本の笏を受け取るという一連の儀式をおこなっている。また、2012年には、アルバロ・ガルシア・リネラ(Álvaro Marcelo García Linera)副大統領がここで結婚式を挙げている5。
ティワナク遺跡が、ボリビアの先住民あるいは先住民の血や文化を受け継いでいる人々にとって、先祖の偉大な文化の証しであり精神的な源という意識があるのだと思われる。先住民の復権を政策の一つとして訴えるモラレス大統領やガルシア・リネラ副大統領は、自らの信念を可視化するためにここティワナク遺跡で儀式を執り行ったのであろう。
しかし、遺跡を貴重な祖先の遺産と考えて、遺跡内に転がっている石に腰掛けただけで注意するほど保存に気を使っている人たちは、就任式の度に、普段立ち入り禁止の場所を大統領一行が通り、多勢の参列者、見物客、報道陣が遺跡に押しかけたのをどう感じたであろうか。
<脚注>
写真はいずれも2017年4月、ボリビアにて撮影[© 2017 Setsuko H.]
[堀田英夫]
東京外国語大学大学院外国語学研究科修士課程修了
現在:愛知県立大学名誉教授
著書:『スペイン語圏の形成と多様性』(朝日出版、2011年)、編・共著:『法生活空間におけるスペイン語の用法研究』(ひつじ書房、2016年)、論文:「大航海時代の外国語学習―メキシコのフランシスコ会宣教師たちの場合」(愛知県立大学外国語学部紀要言語・文学編(47)2015年)など。より詳しくは<こちらへ>