スペイン語の多様性 ―単語の出自から―(2)
三好準之助
スペイン語という言語の、単語の出自における多様性の話をしています。その2回目です。
ヨーロッパの言語の多くは、スペイン語やガリシア・ポルトガル語と同じように口語ラテン語が変化して生まれました。これらを総称して「ロマンス語」と呼びます。フランス語・イタリア語・ルーマニア語などがそうです(なお、恋愛関係の日本語「ロマンス」は英語のromanceからの借用語ですが、ヨーロッパの文芸思潮に関係します)。このロマンス語のなかでスペイン語の特徴をあげるとき、アラビア語の痕跡が加わります。なぜでしょうか。
ローマ帝国はキリスト教を国教にしていましたから、ロマンス語を使う世界もキリスト教の国々になりました。しかし7世紀の初頭にはアラビア半島でイスラム教が生まれ、それがアラビア半島の東西に広がっていきます。東に広がったイスラム教の波はインドネシアやフィリピンにまで達しました。そして西に向かう波はアフリカの地中海沿岸にそってモロッコまで達しましたが、そのモロッコの北に、スペインの存在するイベリア半島があります。西に広がるイスラム教の波(アラビア人や北アフリカ人など、アラビア語を使う人たち)は、8世紀の初頭にはアフリカ北岸を超えてイベリア半島に侵入します。イスラム教の勢力はイベリア半島を占領して、おもにスペイン南部に定着し、それから15世紀末まで800年近く、その地を支配します。彼らは当然、現地の人(一種のロマンス語を話していた人たち)と共生することになりますが、その結果、多くのアラビア語が現地のもとの言語に入ります。それがスペイン語にも残ることになりました。
今日のスペイン語の単語の8%ほどがアラビア語系のものだという研究者もいます。このことがロマンス語のなかのスペイン語の特徴になっており、スペイン語の単語の面での多様性のひとつです。では、どのようなことばがアラビア語系なのでしょうか。
まず、「油」の意味のaceite[アセイテ]があります。スペイン語はラテン語から発展した言語ですが、ラテン語にも油の意味のことばoleumがありました。これがスペイン語に入ってoleo[オレオ](今日では油絵の「油」の意味)になりました。しかしこのことばは、古くは別の語源(ラテン語のoculum)からスペイン語に入っていたojo「目」ということばと発音が似ていたので、誤解を避けるために油をアラビア語系のaceiteと呼ぶようになったのです。油の代表格であるオリーブ油もaceiteと言います。そしてオリーブ油の供給源である樹木のオリーブもアラビア語を借用して、aceituna[アセイトゥナ]と呼んでいます。地中海地方で古くからよく栽培されるオリーブを指すことばは、もちろんラテン語にもあります。その樹木や実はoliva(オリーバ)と、その油はolivumと呼ばれます。日本語の「オリーブ」は英語のoliveから入りました。この英語ももちろんラテン語系ですが、古いフランス語を経由しています。
つぎに「綿」があります。スペイン語ではalgodónと言います。このことばは綿といっしょにアラビア語qutnから入ってきました。すでに10世紀には使われています。qutnにアラビア語の定冠詞al- が付いて、古くはalgotónになり、それが現在ではalgodón[アルゴドン]という語形になりました。日本では綿や綿花を「コットン」と呼ぶことがありますが、日本語のコットンは英語cottonから入りました。アラビア語qutnがイベリア半島からフランスに入り、フランス語から古い英語に入り、その英語が日本に届いたのです。
「砂糖」はスペイン語でazúcar[アスカル]と呼びます。アラビア語súkkarから入りました。しかし砂糖はアラビア語文化圏が原産地ではありません。原産地はインドあたりで、サンスクリットで呼ばれていたのでしょう。それがアラビア語に入りました。また、ギリシア語にも入り、sakkharonになります(いまでは珍しい人工甘味料の「サッカリン」という日本語は、このギリシア語を使った英語saccharinから入っています)。アラビア語súkkarが古いフランス語を経て英語のsugarになりました。
オレンジは、スペイン語でnaranja[ナランハ]と言います。このことばはアラビア語naranya[ナーランジャ]から形成されました。この樹木や果実も砂糖と同じように、インドのサンスクリットが起源です。日本語の「オレンジ」は英語orangeから入りましたが、この英語は古いフランス語が語源です。フランス語にはスペイン語naranjaが入りましたが、その果実の黄金色とラテン語系のフランス語or「黄金」のイメージから語頭のn- が落ちてしまったのです。
[三好準之助]
京都産業大学名誉教授