第3回 スペイン語圏の都市景観(1)
イベリア半島における都市形成
布野修司
ヒメネス・ベルデホ・ホアン・ラモン (Juan Ramón JIMÉNEZ VERDEJO)
イベリア半島には様々な都市文化が重層するユニークな都市が形成されてきた。その都市形成の歴史は大きくいくつかの層に分けて理解することができる。先住民の都市集落、フェニキア、カルタゴ、ギリシャの植民都市、ローマの植民都市、イスラーム都市、キリスト教都市の各層である。各都市の都市景観は重層的にその歴史を残している。ここでは、イベリア半島の都市の伝統を形成する歴史の層を大きく振り返ってみたい。
ケルト・イベロの都市集落
イベリア半島の先住民と考えられるイベロ族1は南スペインのグアダルキビル渓谷にタルテッソスと呼ばれる王国を築いていたとされる2。
紀元前1000年頃から、ケルト族3がピレネー山脈を越えて北部から半島に進入し、半島全域に居住してイベロ族と混血して、セルティベロ(ケルト・イベロ)族が形成される。ケルト族はイベリア半島に鉄器をもたらし、小規模な丘に城塞集落カストロを築いて周辺を支配した。半島中部では、より大きな城塞集落オッピドゥムへ発展していく。考古学の知見によれば、オッピドゥムは円形住居によって構成され、紀元前5世紀頃から矩形の住居が現れる。紀元前3世紀頃になると、さらに大きな城塞集落が現れるようになるが、その規模には地域差があったと考えられている。スペイン中央北東部のヌマンティア(ヌマンシア、Numancia)は紀元前3世紀初頭の都市遺構とされるが、全体は楕円形をしており、街路は整然としたグリッド・パターンをしている(図1-1)。
図1-1
フェニキア・カルタゴの植民都市
一方、平行してフェニキア人が半島南部に進入してきて、いくつかの植民拠点を築く。その中心はガディル(カディス、Cadiz)(図1-2)であるが、他にマラカ、セクシ、アブデラが知られる。タルテッソス王国の豊かな鉱物資源は広く知られており、フェニキア人はアッシリア帝国が必要とする銀を半島の鉱山に求めて進入してきたと考えられる。
紀元前6世紀にフェニキアにとって変わったカルタゴが半島全域を支配し、その最重要拠点をイビサ島(Ibiza)およびカルタゴ・ノヴァ(カルタヘナ、Cartagena)に置いた。他方、ギリシャ人たちは半島北東部地中海沿岸にエンポリオン(BC.580)などいくつかのコロニーを建設している。
図1-2
ローマ都市
ローマがカディスを占領したのは紀元前206年である。以降600年間はローマの時代である。半島はイスパニアと呼ばれ、ローマの有力なプロヴィンシア(州)となる。
ローマは、占領当初、東部をイスパニア・キテリオル州、南部をイスパニア・ウルテリオル州とし、イタリカ(サンティポンセ)、カルティア(アルヘシラス)、コルヅバといったコロニーを建設する。アウグストゥスの時代には半島は3つの属州に分けられ、元老院が派遣するプロコンスル(総督)によって統治された。各州はさらに管区(コンヴェントゥス)に分割された。キテリオル州の7区それぞれの中心都市は次のとおりである(カッコ内は現在の名称)。タラコ(タラゴナ)、カルタゴ・ノバ、カエサラ・アウグスタ(サラゴサ)、クルニア(コルーニャ・デル・コンデ)、アスツリカ・アウグスタ(アストルガ)、ルクス・アウグスタ(ルゴ)、ブラカラ・アウグスタ(ブラガ(ポルトガル))。バエティカ州の4区それぞれの中心都市は、コルドバ、アスティギ(エシハ)、イスパリス(セビージャ)、ガデス(カディス)、ルシタニア州の3区それぞれの中心都市は、エメリタ・アウグスタ、パクス・ユリア(ベージャ(ポルトガル))、スカラビス(サンタレン)である(図1-3)。
図1-3
ローマ時代当初の形態を維持する都市に、タラゴナ(タラコ)、アストルガ(アスツリカ・アウグスタ)、レオン、ルゴなどがある。また、イスラームによって支配されたがローマ時代の遺構を残す都市としてサラゴサ、バルセロナ(バルキーノ)、パンプローナなどがある。イスラームによって占拠されアラブ人郊外居住地をもつかつてのローマ都市として、イベリア半島を代表するセビージャ、コルドバ、グラナダがある。「ローマ・クワドラータ(正方形のローマ)」と呼ばれるグリッド(碁盤目)・パターンの街区がローマ都市の特徴である(図1-4)。
図1-4
西ゴ-トの都市
いわゆるゲルマン民族大移動がイスパニアに及ぶのは5世紀初めである。そして、西ゴート王国が300年間半島を支配することになる(415~711)。トロサで建国され、首都は、一時期メリダに移されるが、滅亡までトレドに置かれた。西ゴート時代に建設された都市として、マドリード東近郊のレコポリス、ピクトリアム、オロギスクが知られる。
アンダルス(スペイン・イスラーム)都市
711年、イスラーム軍がジブラルタル海峡を渡って侵入してトレドを攻略する。西ゴート王国は滅亡し、わずか数年でほぼ全半島は占領される。その拠点は、当初セビージャに置かれ、まもなくコルドバに移された。サラゴサ、トレド、メリダの3都市はキリスト教徒勢力圏への前線基地とされた。
アッバース革命(750)によって倒れたウマイヤ朝のアブド・アル・ラフマーンⅠ世が逃れてきて、後ウマイヤ朝を建てたのは756年である。8世紀から11世紀にかけてイベリア半島はアラブ世界からは独立したイスラーム王国に支配されることになる(図1-5)。中心となったのは、コルドバ、セビージャ、そしてグラナダである。アンダルスのイスラーム諸都市は、ローマ時代の都市を基礎とし、イスラーム文化の華を咲かせた後、再び、レコンキスタされるという共通の歴史特性をもっている。イスラーム時代のモサラベの存在とレコンキスタ後のムデハル4の存在がその特性を象徴する。彼らの多くはコルドバ、セビージャ、トレド、バレンシアなどの大都市に居住したが、その活動によって、イスラーム文化と中世スペイン・キリスト教文化との融合を行うのである。
図1-5
キリスト教都市
イスラームの侵入とともにレコンキスタ(Reconquista、再征服/国土回復)は開始される。イスラーム軍の進入経路には、カストロヘリスなど多くの城塞都市が建設された。
カスティーリャ王フェルナンドⅠ世(在位1035~65)がレオン王位を継承しカスティーリャ=レオン王国が成立すると、レコンキスタは飛躍的に進展する。レオン・カスティーリャ王国に建設された拠点都市は、サンティアゴ巡礼路都市とメセータ(中央台地)都市に大別される。サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指すサンティアゴ巡礼は十字軍遠征と平行する中世ヨーロッパの一大宗教運動のひとつであり、その巡礼路にはブルゴス、レオンのような主要都市以外に多くの小都市(人口2000~3000人)が形成された(図1-6)。
図1-6 カトリック両王によってグラナダ王国が攻略され、レコンキスタが完了し、真の意味でのスペイン王国が成立したのは1492年である。そして1492年は、クリストバル・コロン(コロンブス)がグアナハニ(サン・サルバドル)島へ到達し、最初の植民拠点として、エスパニョーラ島にナビダ(Navidad)要塞(現ハイチのモレ・サン・ニコラス)5を建設した年である。以降、レコンキスタからコンキスタ(Conquista、征服)へ、スペイン王国はその領土を大きく拡張していくことになる。
<脚注>
- 様々な流れが想定されるが、マグリブ(北アフリカ)のベルベル人と近く、共通の祖先をもつという説が有力である。
- ヘロドトスの『歴史』、プリニウス(大プリニウス)の『博物誌』に引用されたストラボンの記述、タルテッソスの絶滅後ではあるがアヴィエヌスの紀行記に見られる。
- 青銅器時代に中央アジアから中部ヨ-ロッパに広がったインド・ヨ-ロッパ語族の民族と考えられている。ケルト族が鉄製武器をもち、馬戦車を駆使したことは、ギリシャ・ローマの文献に記録されている。ギリシャ人はガラティア人と呼んだ。
- アラビア語のムダッジャンがスペイン語に転訛したもので、残留者すなわちキリスト教徒に再征服された後のイベリア半島で、自分たちの信仰・法慣習を維持しながらその地に被支配者として残留を許可されたムスリムをいう。
- Navidadはクリスマスを意味する。「新世界」最初の砦ではあったが、翌年コロンが訪れるとインディオの襲撃によって破壊されており、残留した39名のうち生存者はいなかった。
[布野修司]
日本大学特任教授。1949年、松江市生まれ。工学博士(東京大学)。建築計画学、地域生活空間計画学専攻。東京大学工学研究科博士課程中途退学。東京大学助手、東洋大学講師・助教授、京都大学助教授、滋賀県立大学教授、副学長・理事を経て現職。『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究』で日本建築学会賞受賞(1991年)、『近代世界システムと植民都市』(編著、2005年)で日本都市計画学会賞論文賞受賞(2006年)、『韓国近代都市景観の形成』(共著、2010年)と『グリッド都市:スペイン植民都市の起源、形成、変容、転生』(共著、2013年)で日本建築学会著作賞受賞(2013年、2015年)。