スペイン語やスペイン語圏文化・社会などに関するコラムやレポート

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2015/12/16

第1回 南北アメリカ・スペイン語圏形成の一歩[堀田英夫]

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第1回 南北アメリカ・スペイン語圏形成の一歩


堀田英夫


 ドミニカ共和国は、カリブ海に浮かぶエスパニョーラ島の東部にあり、首都サント・ドミンゴの旧市街は、「植民地時代都市」 (Ciudad Colonial) という名で1990年にユネスコの世界遺産として登録されている。ここは、コロンブス (スペイン語名クリストバル・コロン) の弟バルトロメ・コロンによって1496年にオサマ川の東側に建設された町が元になっている。1502年にエスパニョーラ島の総督としてスペインから派遣されたニコラス・デ・オバンドがオサマ川の西側に移した町が現在の植民地時代都市である。オサマ川の河口が、物資の積み下ろし、また人の行き来のための港として機能していたことがわかる場所にある。


 
 観光地としての植民地時代都市は、主要な建造物を歩いて見て回ることができる。2015年10月に筆者が訪れたときは、きれいに整備され、野球のグランドほどの広々としたスペイン広場 (Plaza de España) から散策を始めた。広場の西側にはテラス席のあるしゃれたカフェやレストランが並んでいて、東のオサマ川側にコロンブス宮殿 (Alcázar de Colón) がある。これは、コロンブスの長男ディエゴ・コロンが住居とした建物であり、川側に城壁が築かれていて、南北アメリカで最初の要塞兼宮殿である。内部は、植民地時代の家具調度が置かれ、当時の宮殿生活を彷彿させる博物館になっている。ディエゴ・コロンの妻マリア・アルバレス・デ・トレードに仕える侍女たちが出勤のために通ったことから「侍女通り」 (La Calle Las Damas) という名がついた通りも南北アメリカで最初の街路 (calle) とのことである。広場から南へ、その石畳の道を通って少し行くと王室博物館 (Museo de las Casas Reales) に至る。ここは、1511年に南北アメリカで最初の王立アウディエンシア (Audiencia聴訴院: 司法、行政を担ったスペイン王室の機関) が置かれたところである。建物内部には、長官席と数名の聴訴官 (oidor) が座る椅子が置かれた部屋も再現されていた。さらに南に歩くと、国立パンテオン (Panteón Nacional) がある。これは、1958年当時、専制政治によって国家権力を握っていたトルヒーリョが、イエズス会の教会だった建物を国家功労者を祀る霊廟として整備したものである。さらに南へ少し進み、オサマ川岸に南北アメリカで最初に建設された砦とされるオサマ砦 (Fortaleza Ozama) がある。砦の敷地を出て西に進むと大聖堂 (アメリカ首座大司教座聖堂 Catedral Primada de América) がある。ここには一時期コロンブスの遺骨が葬られていた。これも南北アメリカで最初の大聖堂である。

スペイン広場 (Plaza de España)
スペイン広場 (Plaza de España)
王立アウディエンシア (Audiencia 聴訴院)
王室博物館内のアウディエンシアの部屋
前方が長官席で、カメラの後ろに聴訴官の座る椅子が置かれている

 ここの歴史的建造物は、「南北アメリカで最初の」という説明がつくものが多い。すなわちスペイン人は、このサント・ドミンゴを最初の足がかりに、カリブ海域各地を探検し、1511年にキューバ島を征服、1521年にメキシコのアステカ王国を滅ぼし、1533年ペルーのインカ帝国を征服していった。そしてドミニカ共和国を含め、カリブ海にあるキューバ、プエルトリコ、大陸のメキシコ、中米(グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマ)、南米のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイといった国々を含む広大な領域がスペイン語圏となったのである。

大聖堂 (アメリカ首座大司教座聖堂 Catedral Primada de América)
大聖堂 (アメリカ首座大司教座聖堂) の中央祭壇

  「スペイン語」という言語名には、スペインという国の名前がついているため、スペイン以外の
広大な土地で使われている言語であることが忘れられる傾向がある。「英語」が「イギリス語」という意味が薄れ、イギリスだけでなくアメリカ合衆国やオーストラリアの言語であると意識されているのと対照的である。世界銀行の2014年の人口データで、スペイン語を公用語とする21か国 (プエルトリコとアフリカの赤道ギニアも含む) のランキングを見ると、1位がメキシコで1億2539万人、2位がコロンビアで4779万人であり、3位のスペインの4640万人より多い。話者数の多さからは、スペイン語は、スペインよりもメキシコとコロンビアの方が重要ということになる。経済活動の一つの指標である国内総生産 (GDP) について、同じ世界銀行の2014年のデータで見ると、世界で14位のスペインが1兆4043億ドルで、スペイン語圏中で1位である。メキシコもこれに続き、1兆2827億ドルの世界15位で、スペイン語圏第3位は、少し離れて、世界24位のアルゼンチンで5402億ドルである。これらのデータからは、スペインと同じように他のスペイン語圏の国々も重要であることがわかる


 ドミニカ共和国は、野球で有名であり、政府開発援助 (ODA) などで日本との関係が深い。2000年に提訴された「ドミニカ移民訴訟」は、日本の国家と国民との関係を考えるために知る必要がある。世界史的には、ラス・カサス神父に先駆け、この地のドミニコ会士を代表してアントニオ・モンテシーノス師が、スペイン人植民者による先住民への虐待を糾弾した説教を1511年にサント・ドミンゴの教会で行ったことも重要である。また、スペイン語を学んでいる者にとっては、今日の南北アメリカのスペイン語圏が形成された最初の一歩が印されたところとして記憶したい。

2015年11月23日
<出典>
世界銀行の国別人口データ: 
http://data.worldbank.org/indicator/SP.POP.TOTL

世界銀行による国別GDPのデータ: 
http://data.worldbank.org/data-catalog/GDP-ranking-table

※写真はいずれも2015年10月サント・ドミンゴにて撮影[©️2015 Setsuko H.]

[堀田英夫]
東京外国語大学大学院外国語学研究科修士課程修了
現在:愛知県立大学名誉教授
著書:『スペイン語圏の形成と多様性』(朝日出版、2011年)、編・共著:『法生活空間におけるスペイン語の用法研究』(ひつじ書房、2016年)、論文:「大航海時代の外国語学習―メキシコのフランシスコ会宣教師たちの場合」(愛知県立大学外国語学部紀要言語・文学編(47)2015年)など。より詳しくは<こちらへ>

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