第8回 スペイン語圏の都市景観(2)
アンダルス(スペイン・イスラーム)都市
―コルドバ・セビージャ・グラナダー
布野修司
ヒメネス・ベルデホ・ホアン・ラモン (Juan Ramón JIMÉNEZ VERDEJO)
イベリア半島の西南部、アンダルシア地方の諸都市は、8世紀から15世紀にかけてイスラームの支配下におかれることによって、ヨーロッパの他の地域の都市とは異なるユニークな特性をもつ。ここでは、コルドバ、セビージャ、グラナダの都市形成とその形態について見てみよう。
コルドバ
グアダルキビル川の中流域に位置するコルドバは、フェニキア人の植民都市を起源とし、ローマ、特にカルタゴの拠点都市となり、続いて西ゴートの支配を受けてきた。前1世紀の歴史地理学者ストラボンによれば、コルドバはローマ人がイタリアからの入植者のために建てたヒスパニア最初の植民都市であった。一説には、前169年か前152年に国務官 M. クラウディウス・マルケッルスの命令で創設されたといわれる。現在のコルドバの街割りにもローマ時代の区域を認めることができる(図2-1)。
図2-1
後ウマイヤ朝を建てたアブド・アッラフマーンⅠ世は、サン・ビセンテ教会を買い取り、コルドバのモスク建設を開始する(785)。このメスキータは、その後様々に拡張、改築され、西方イスラーム圏を代表するモニュメントとなる。そして、13世紀には大聖堂に改造される。教会、モスク、カテドラルという数奇な運命をたどったのがコルドバのメスキータである。
コルドバへ移住したムスリムの多くはシリア出身であり、その初期の都市形態や景観にはシリアの都市の影響があったと考えられている。10世紀には、その周囲の市壁は全長12km、人口は約50万にも達していたとも言われ、「西方の宝石」と呼ばれて、バグダード、コンスタンティノープルと並ぶ三大都市のひとつとなる。4回の拡張工事で収容人員2万5000人に達したメスキータとそれに隣接する王宮(アルカサル)を中心に、蔵書数40万冊と伝えられる王宮図書館など70の図書館、1600のモスク、800のハンマーム(公衆浴場)、多数のマドラサ(学院)があったとされる。また、城内はハーラ(街区)に分かれ、キリスト教徒やユダヤ教徒もハーラを形成していた。さらに、郊外には21のバラートbalāt(郊外居住区)があったという。
後ウマイヤ朝は、内部に対立を抱え、各地で反乱、紛争が続くが、アブド・アッラフマーンⅢ世がアンダルス各地を平定し、カリフを宣言(929)する。カリフ制が確立されると、その治世(在位912~961)に最盛期を迎える。アブド・アッラフマーンⅢ世は、カリフに相応しい新都として、コルドバ北西近郊シエラ・デ・コルドバ山麓に宮廷都市マディーナ・アッザフラーを建設している。東西南北1.5km×0.5kmの長方形をしており、1km四方のコルドバに匹敵する規模をもっていた。また、アブド・アッラフマーンⅢ世の孫のヒシャームⅡ世(在位976~1009、1010~13)の治世に実権を握ったマンスール(ハージブ(侍従)在位978~1002)はコルドバの東郊にマディーナ・ザーヒラを新たに造営し、行政の中心としている。
セビージャ
11世紀になると、後ウマイヤ朝は衰退を始め、1031年には崩壊してタイファと呼ばれる小国に分裂する。タイファ政権の中で最も有力となるのはセビージャに成立したアッバード朝である。
グアダルキビル川の河口近くに位置するセビージャは肥沃な平野と水利水運に恵まれ、その起源は有史以前に遡る。ユリウス・カエサルが占領して「ヒスパリス Hispalis」と命名し、ローマの自治都市となって「小ローマ Romula」と呼ばれた。ヴァンダル族やスエヴィ族の支配を経て、西ゴ-ト王国成立当初には首都となっている(441)。イスラーム時代に入って、後ウマイヤ朝が崩壊すると、セビージャ王国(1023-93)の首都としてコルドバを凌ぐまでになり、ムラービト朝(1056~1147)下で盛んに建設活動が行われている。その繁栄は、マグリブ王朝であるムワッヒド朝(1130~1269)の時代に頂点に達する。フェルナンドⅢ世は、コルドバに少し遅れて、1248年にセビージャを奪回したが、セビージャは、カスティーリャ王国でも重要な都市として存続する(図2-2)。
図2-2
1503年通商院が設置されてセビージャは植民地貿易を独占する。結果として、スペイン最大の商業都市に発展し、スペインの黄金の世紀の中心都市となる。黄金の塔(13世紀)、ヒラルダの塔はムワッヒド朝下の建設であり、アルカサル(王宮)は、レコンキスタ(国土回復)後の14世紀にモサラベ職人によって建てられたものである。
グラナダ
「新ベルベル」諸政権の中で最大の勢力を誇ることになるのがグラナダのジーリー朝であった。レコンキスタは、トレド征服(1085)によって本格化するが、カスティーリャ王フェルナンド王の「大レコンキスタ」によって、1230年にバダホス、1236年にコルドバ、1246年にハエン、1248年にセビージャが陥落、グラナダのナスル朝(1232~1492)などわずかな地方王朝がカスティーリャ王国と臣従関係を結ぶことで存続するかたちとなる。
グラナダもまた都市の起源はローマ時代にさかのぼる。その名は、アルハンブラ宮殿のある丘に8世紀に築かれたユダヤ人居住区ガルナータに由来する。シエラネバダ山脈に囲われた自然の要害にあることから、キリスト教徒が1236年にコルドバを奪回して以後、イベリア半島最後のイスラーム王国ナスル朝の首都として、1492年まで存続することになる。現在の市街にも、ローマ時代の都市核、ネクロポリス、ユダヤ人街、モスク、カテドラルなど、その歴史が重層的・モザイク的に残されている(図2-3)。グラナダを象徴するアルハンブラ宮殿が築かれた市街の東南に位置するサビーカの丘には代々城塞が築かれてきたが、ナスル朝の創始者であるムハンマドⅠ世(在位1237~1257)が宮殿を建設して以来、ナスル朝の歴代王も宮殿を造営してきた。ユースフⅠ世はコマーレス宮を、ムハンマドⅤ世は「ライオンの間」を、それぞれ増築している。グラナダ陥落後、アルハンブラ宮殿には、カールⅤ世(カルロスI世)が宮殿を建設するなど、改変が加えられることになる。
[布野修司]
日本大学特任教授。1949年、松江市生まれ。工学博士(東京大学)。建築計画学、地域生活空間計画学専攻。東京大学工学研究科博士課程中途退学。東京大学助手、東洋大学講師・助教授、京都大学助教授、滋賀県立大学教授、副学長・理事を経て現職。『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究』で日本建築学会賞受賞(1991年)、『近代世界システムと植民都市』(編著、2005年)で日本都市計画学会賞論文賞受賞(2006年)、『韓国近代都市景観の形成』(共著、2010年)と『グリッド都市:スペイン植民都市の起源、形成、変容、転生』(共著、2013年)で日本建築学会著作賞受賞(2013年、2015年)。